時代は、明治末期~大正前期と思われます。
「龍江」 (りゅうこう) は錦帯橋下流約400m、錦川が城山にぶつかって流れの向きを南西から南東に90度変える場所にできた淵で、当時は「汲江」と表記していたようです。
淵が一番深くなる崖は写真の画面外右側にあります。当時は背景の臥龍橋は木造橋だったようです。
現代では、背景の山が削られ、運動公園などの建物ができており、とても絵葉書になりそうな風景ではなくなっています。
撮影場所の地図 ≫ (ゼンリンいつもナビ)
時代は、明治末期~大正前期と思われます。
「龍江」 (りゅうこう) は錦帯橋下流約400m、錦川が城山にぶつかって流れの向きを南西から南東に90度変える場所にできた淵で、当時は「汲江」と表記していたようです。
淵が一番深くなる崖は写真の画面外右側にあります。当時は背景の臥龍橋は木造橋だったようです。
現代では、背景の山が削られ、運動公園などの建物ができており、とても絵葉書になりそうな風景ではなくなっています。
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