時代は、大正後期~昭和一桁と思われます。
真ん中の第三橋から、城山方向の第四橋を見ています。
この時期の橋は、高欄 (欄干) の親柱が擬宝珠なのが特徴です。
擬宝珠になったのは、1919年 (大正8年) に橋板を敷き替えた時です。1929年 (昭和4年) の架け替え時には踏襲され、1950年 (昭和25年) にキジア台風で流失するまでこの姿でした。
そして1952年 (昭和27年) に再建された時、親柱のデザインは元の姿に戻されました。
当時は土手が自然に近く、現在の整備された土手とはかなり様子が違います。
桜の木は現在でもさほど大きさが変わっておらず、この時点で成木であったことがうかがえます。