吉川家の家紋が入った瓦
「岩国城」 (いわくにじょう) は1608年 (慶長13年) に初代岩国藩主の吉川広家が、蛇行した錦川に囲まれた天然の要害の地である横山の山頂に築城しました。
しかし幕府の一国一城令により、築城より僅か7年後の1615年 (元和元年) には取り壊しとなり、政務は山麓の居館 (現在の吉香神社付近) で行われました。
現在の天守は1962年 (昭和37年) に外観復元されたもので、四重六階の桃山風南蛮造です。南蛮造(唐造)とは最上階をその下階より大きく造り、その間の屋根を省略した様式です。
復元の際、錦帯橋からよく見えるよう、旧本丸の約50m南側に位置を変えています。現在、天守内には刀剣や武具甲冑類が展示されています。
一国一城令による取り壊し後、幕府より石垣も破却するよう命じられ、天守台も破壊されました。しかし下部約1/4が地中に埋まって残っており、1995年 (平成7年) に古式穴太積 (こしきあのうづみ) 石垣が発掘復元されました。また北ノ丸の石垣や空堀などの遺構が現存しています。
≫ 岩国城の四季折々の風景写真
また、2006年 (平成18年) 2月13日、財団法人日本城郭協会により「日本100名城」に選定されました。
2019-10-1 現在
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参考:岩国市ホームページ、岩国市観光パンフレット、観光案内板
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